ほんもんぶつりゅうしゅう
2021年07月01日
門祖会 創立90周年法要に併せ 河野彰国師の住職就任式を奉修
去る4月4日、千葉・妙導寺では、門祖会・創立90周年記念法要《第二会》に併せて住職就任式(第一会)が、第1座に大阪・信光寺住職・佛立研究所所長・岡居日実師、第2座に熊本・長薫寺住職・教育局局長・髙須日因師を奉修導師にお迎えし厳修された。
天気予報では当初、傘マークがあり心配されたが、予報を覆し春らしい穏やかで暖かい晴天のお計らいをいただいた。
 妙導寺の濫觴(らんしょう)は大正12年、関東大震災によって本寺・遠妙寺(当時の遠妙支部)信徒・川村郁三郎氏、山崎佐太郎氏および内山くに氏等が千葉に移住したことが発端となり、最初の御講が大正14年10月14日、開基伊達日彰上人によって川村席で勤まったのがご弘通の始まりである。
以降、次第にご弘通が進展し昭和5年、現在地に妙導寺の前身となる遠妙支部千葉親会場が設立され、同年10月19日に第7世講有西村日淳上人によって開筵式が挙行され昨年90周年を迎え、令和2年11月8日には、関東根本道場・清雄寺住職・小山日秀師導師のもと、創立90周年記念法要第一会が奉修された。
妙導寺の法灯は伊達日彰上人を開基に戴き、第2世・所日陽師、第3世・澤井清俊師、第4世・木村日玄上人、第5世・木村日覚師(現・遠妙寺住職)、第6世・所妙信師(加歴)、第7世・北野玄則師へと継承されてきた。
 平成2年には総額2億円を超える現本堂が竣工され、平成5年、木村日覚師より北野玄則師が第7世に就任し、以来約22年、信徒の教導に励まれた。しかし、高齢に伴い未来の妙導寺を見据え、住職を退任。平成27年12月からは再び遠妙寺住職・木村日覚師が住職代務に就任。令和2年からは、本寺・遠妙寺において執事長としてご奉公されていた河野彰国師を新住職として派遣され、この日の盛儀を迎えられたのである。
 式典では第1座、第2座ともに住職辞令が奉修導師より河野彰国師へと伝達され、新住職の就任挨拶、そして、第1座では新住職の佛立教育専門学校時代の同期、大阪・浄風寺住職・西村清信師より、第2座では門末寺院・宇都宮・遠歓寺住職・寺澤玄秀師より祝辞が述べられたのち、本寺住職よりご挨拶がなされた。
新住職の就任挨拶では「このたびの住職就任式という、当山にとっても私自身にとっても、新たな出発点を迎えることができましたのは、ひとえに当山ご信者と本寺をはじめ門末教講皆さまのご支援とお徳分を頂戴してのことと深く感謝申し上げます。信心未熟、不徳浅学の身ゆえその器ではありませんが、妙導寺ご弘通隆昌発展のため、捨身決定、信心を改良し行学二道に精進し、先師上人のご法労に報いることができるように、また、歴世住職の名を汚すことの無きよう邁進させていただくことをお誓い申しあげます」と述べられた。
 第1座奉修導師・岡居日実師の御法門は「我身にて我身にあらじ法の為 法につかへん法のまにまに」の御教歌をいただかれ「『自分の身体は御法さまの為のもの』と御法に仕え、御法に成り行きを任せて、一心にご弘通ご奉公に励むことこそが現当二世のご利益をいただく姿勢」と説かれ、新住職に対しての期待と激励を込めて御法門をくだされた。
 第2座奉修導師・髙須日因師の御法門では「唱ふるが信心なればとなへずに ありがたがるは信心でなしの御教歌で「御題目口唱をおろそかにして、ただ信心をありがたがるのではなく、お互いは、いつでも御題目口唱によって信心の本当の喜びをご利益として知るご信者であることが大切」と説かれ、学生時代に遠妙寺に寄宿されていた折に妙導寺でご奉公をされた思い出と新住職への期待を込めて御法門が説かれた。
 結びに局長・丸山健太郎氏より参詣教講への御礼挨拶と新住職への外護を誓われ、恙なく二座にわたっての法要が挙行された。
 法要後は、コロナ感染防止のため、参詣者へはお持ち帰りのご供養が用意され、参詣者一同随喜の中で帰路についた。
 なお次回、住職就任式(第二会)は10月17日、高祖会に併せて、平井・清秀寺御高職・権大僧正岡本日苑上人を奉修導師にお迎えし奉修される予定である。
(遠妙寺教務部・小林彰隆 記)