ほんもんぶつりゅうしゅう
2012年04月01日
第4回[2012年4月号]
ご誕生地の越中(富山県)浅井にあった遠成寺(おんじょうじ)でお得度され、深円(じんえん)と名付けられた門祖聖人。日々の修行に励むその姿にお師匠さまは、非凡さを見み抜かれ、より一層の修行をと、門祖聖人を京の都に上がらせることに。今回は上洛について見てみよう。

門祖日隆聖人物語 第4回

ご上洛

修行のお姿

日隆聖人の修行のお姿
  門祖日隆聖人は12歳で、出家得度された後、お師匠さまの慶寿院日深師のもと、大変熱心にご勉学と修行に励まれたんだ。その修行のお姿は、常に「御本尊さま」と「お祖師さま(日蓮聖人)の像」に向かって、ご自身の知恵の増進と修行の無事をご祈願されていたんだ。

 するとある夜のこと、一人の高僧が突然現れたんだ。そしてこの高僧は、南無妙法蓮華経と御題目を紙に書き、それを手で丸めると、「汝(あなた)が願うところの無価の宝珠(価値のつけられないほどの貴重な宝物)はこれである。今これを汝(あなた)に与える!」と言い、門祖聖人の胸元にその紙をしのばせたんだ。  門祖聖人は、これはきっといつもお願している、「御本尊さま」と「お祖師さま」からのお計らいに違いないと喜ばれ、この不思議な出来事より、さらにご勉学に修行に励まれるようになったんだよ。

京の妙本寺へ(上洛)

 このように出家得度後、ご勉学に修行に励まれていた門祖聖人に、京(京都)の都に行って勉強したいという希望が次第に芽ばえ出したんだ。なにしろ得度された遠成寺が、田舎にあったため勉強するにも、これといった十分な資料もなかったんだ。また、良い先生や学友も少なかったので、上洛して(京に上がって)もっと勉強したいという思いが強まったんだね。

妙本寺(現・妙顕寺 京都市上京区)
妙本寺(現・妙顕寺 京都市上京区)

 そこで、門祖聖人の非凡さを見抜かれていたお師匠(慶寿院日深師)さまは、遠成寺の本寺にあたる京都・妙本寺へ門祖聖人を旅立たせることにしたんだよ。  妙本寺は、当時の京都の日蓮門下の中でも、最も格式の高いお寺であると言われており、日像菩薩を御開基(初代住職)とする大本山なんだ。ちょうどこのお寺には、門祖聖人のお師匠(慶寿院日深師)さまの兄弟弟子であり、しかも門祖聖人の伯父・叔父にあたる日存・日道両聖人もおいでになられていたんだよ…。

門祖聖人のお名前
 こうして門祖聖人は、応永九年(1402)の18歳の時、越中(富山県)から上洛して妙本寺に入寺されたんだ。その時の妙本寺御住職が日霽聖人というお方で、新たにその日霽聖人のお弟子となられ、慶林坊日立とお名前も改められたんだ。こうして妙本寺で本格的に、ご勉学に修行にとご精進されることとなったんだよ。
第4回[2012年4月号]