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京都佛立ミュージアム主催『トランクの中の日本~戦争、平和、そして仏教』サンマリノ共和国特別展示

< サンマリノ共和国での特別展開催の報告:京都佛立ミュージアム >

 

2018年7月29日より8月13日までサンマリノ共和国で京都佛立ミュージアム主催「トランクの中の日本 ~戦争、平和、そして仏教展~」を開催させていただくことが出来ました。これは3年前、終戦70年の記念展示として同企画展を開催した際、「サンマリノ・ニッポンまつり」実行委員会・古堅裕子氏、駐日サンマリノ共和国大使マンリオ・カデロ氏にご協力をいただいたことに起因しています。

サンマリノ共和国は、世界最古の共和国でありながら軍隊を持たず平和の大切さを保持し続けている国。カデロ大使はオダネル氏の写真に感銘を受け、京都佛立ミュージアムに平和のメッセージを送ってくださいました。

また、この際、日本の天正遣欧使節顕彰会が私たちの展示に大変共感くださり、ローマ法王へ献上品を送るにあたり、当企画展のリーフレット、館長・長松清潤の名刺、手紙、ジョー・オダネル氏の写真集『トランクの中の日本』(小学館)を入れていただきました。

あれから3年を経過した本年元旦、ローマ法王フランシスコが、長崎原爆投下の被害者の姿をとらえた1945年の写真をカードに印刷して配布するよう指示を出したと報道されました。写真は死亡した弟を背負いながら火葬場で順番を待つ1人の少年の姿を捉えたものでした。第2次世界大戦末期、長崎に原子力爆弾が投下された直後、米海兵隊の従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏が撮影したものです。まさに、京都佛立ミュージアムの写真展の中心、法王への献上品の中に入れた写真でした。

バチカンが配布した写真には「幼い少年の悲しみはただ、血のにじんだ唇をかみしめるその身ぶりの中にのみ表現されている」というキャプション、裏面には法王の署名と「戦争が生み出したもの」という言葉が添えられていました。

終戦70年特別展示「トランクの中の日本 ~戦争、平和、そして仏教~」と題した同ミュージアムの展示会は、オダネル氏の日本上陸から様々な日本人たちとの出会い、広島や長崎の爆心地、彼の心の変化を追体験していただくことを主目的としています。敵と味方を隔てる境界に気づくこと、その境界が実は妄想や幻想に過ぎないことに気づくこと。オダネル氏の心の変化は仏教の説く境界の曖昧さに相通じるものがあります。敵と味方の境界、宗教や民族の壁を超えて、平和を希求する企画展です。

 

サンマリノ共和国での特別開催は文化省・歴史省の絶大な協力のもと、世界遺産に登録されている国会議事堂(政庁・プブリコ宮)を会場とする異例の開催となりました。これは平和を希求し保持に努める同国の強い意志の表れでもあります。

 

26日、日本から館長・長松清潤と松本現薫が展示写真33枚と仏教パート5枚を含むパネル約40点などを搬入、準備を開始しました。26日早々から現地関係者や作業員の献身的な作業のもとで28日には展示が完成。サンマリノ共和国用に用意したパネルは全てイタリア語、英語で日本語はありません。

29日午前中、同国の執政官(大統領に相当)2名が展示開館に先立ち展示を鑑賞し、長松館長が説明を行いました。館長は、オダネル氏の日本上陸から様々な日本人たちとの出会い、広島や長崎の爆心地、彼の心の変化について、同時に仏教という視点から宗教を超えて他者の命を慈しみ、平和を希求するというメッセージについて語り、さらに最後のパネルでは開導聖人の紹介や「俗画さとし草」を紹介し、執政官からも感動の言葉を得ました。

引き続き、国会議事堂前のリベルタ広場にて開催を記念しテープカットが行われました。テープカットには文化教育大臣マルコ・ポデスキ閣下、マンリオ・カデロ大使、特別展の協賛に加わった蓑田秀作氏(一般財団法人 100万人のクラシックライブ代表理事)、そして館長・長松清潤がハサミを入れ、関係者や一般観覧者と共に開催を祝いました。

 

開館後、サンマリノはもちろん、日本人、イタリア、ロシア、ウクライナ、ポーランド、さらにはアジア圏などからの観光客も多数来館。年齢層もさまざまでイタリア語と英語に訳された展示をじっくりと鑑賞する姿が見られました。ロシア人の来館者のひとりは涙を流しながら館長に質問し、モスクワでもぜひ開催してほしいと要望する光景も見受けられました。焼き場に立つ少年の写真はもちろんのこと、オダネル氏が撮影した写真と写真に添えられた心情をたどる同展示は見る者にとっても大きな衝撃を与え、深く戦争について感じ考える機会を与えていることを実感しました。

 

30日、リベルタ広場が赤く染まる夕暮れから始められた「サンマリノ・ニッポンまつり」公式晩餐会は、サンマリノ共和国文化教育省の大臣、外務大臣、平和大臣などが列席し、サンマリノ日本友好協会関係者など聖・日両国から約200名余りが参加。琴の演奏にはじまり、宮中儀礼のひとつである庖丁式の実演、さらに和太鼓の演奏もあり有意義な文化交流のレセプションが執り行われました。

晩餐会の最後には、サンマリノ大学と当展示のコラボレーションからなるプロジェクションマッピングが国会議事堂をスクリーンに上映されました。映像を担当したサンマリノ大学のリッカルド・バリーニ教授は、西洋から見た東洋、サンマリノから想像した日本を映像で表現したと説明。西洋の要素と東洋の要素が混ざり合っている様を表現し、さらに画像だけではなく音楽においても西洋と東洋の融合を表現したといいます。楽曲においてもサンマリノらしい楽器と日本らしい楽器の音源を採用、そして水の音を使うことによって交流や平等を表現したいと説明しました。

サンマリノでは異例となる国会議事堂をスクリーンにしたプロジェクションマッピングは説明の通り東西文化の融合と平和へのメッセージに溢れたものでした。上映がはじまると歓声が沸きましたが、焼き場に立つ少年の写真などが映し出された瞬間には会場は祈るように静かになっていました。この長崎で撮影された少年の写真が映し出された後、柿の木が成長してゆくシーンがありました。これは日本からイタリアに送られた柿の木で、しかも長崎で被爆し奇跡的に生き残った柿の木だというのです。長崎の爆心地から約900メートル、長崎市の若草町というところにあった樹齢150年の木を元にしているということでした。その柿の木を再生のシンボルとして、この平和を祈る機会に映し出そうと盛り込んだのだそうです。

 

長松館長からは「本当にすばらしいビデオマッピングをありがとうございました。パラッツオ・パブリコ(国会議事堂)の中に少年の写真が映り、涙が溢れました。サンマリノ大学、プラネットエキスプレスのスタッフのみなさまに心から御礼申し上げます。

この塔より大きな塔は他の国や町にもあるでしょう。ビデオマッピングもこれより大規模なものがあるかもしれません。しかし、これほど文化の違いを一つにし、宗教の違いも一つにしたビデオマッピングが、この自由と平和を愛するサンマリノ共和国の特別な塔に投影された意義は量り知れません。このタワーは地球の平和を発信する、精神的な意味で、どこよりも大きなタワーのように感じました。

ちょうど今日、長崎からメッセージが届きました。日本グラフィックデザイナー協会の長崎地区がひとつの声明を発表したんです。

NAGASAKI BEYOND

国を越えて、民族を越えて、

宗教を越えて、憎しみを超えて、

悲しみを超えて、ただひたすらに平和を願う。

今、長崎から世界へ。」

というメッセージでした。

私はいま、サンマリノから世界へだと思います。本当にありがとうございました。」と挨拶があり、満場の拍手の中で晩餐会は幕を閉じました。

 

焦土の日本を映した『トランクの中の日本~戦争、平和、そして仏教展』。京都佛立ミュージアム初の海外展示がサンマリノ共和国で開催されたことに大きな意味を感じます。京都の小さなミュージアムの活動が遠く海外にまで羽ばたきました。これは小さな兄弟の尊い命に導かれてきたようでもあります。そして、この展示を通しより多くの人々の平和を求める心に触れ、この特別展がゴールではなくあらたなスタートであるようにも感じます。

京都佛立ミュージアム主催『トランクの中の日本~戦争、平和、そして仏教展』は、サンマリノ共和国国会議事堂に於いて729日まで延長開催されます。京都では108日までの開催です。

 

またサンマリノ特別展開催期間中に京都の会場を訪れたある来館者から、下記のような詩をお預かりしたと報告が送られてきました。これも併せてご紹介させていただきます。

 

ありがとうございます。

 

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おもかげ

1.

兄は私のなきがらを負ぶいひもに背負い

一面のがれきの中を

裸足の足のまま焼き場まで歩いてきた

私のからだが火床に置かれ

肉のかたまりが焼ける脂のはぜる音が

兄の耳をするどくとらえたとき

兄は私に向かい

何かをこらえるように顔を上げ

気をつけ の体勢で天に応えた

あまりに小さな私のからだは一瞬に熔け

あとかたもなく消え落ちた

逃れられない災厄の連鎖が

破壊と荒廃を繰り返しもたらし

天地はただ

たえ間ない絶望の堆積で形成されていた

あの日

骸となり灰となった私は

焼き付けられた記録として

そのおもかげを

兄とともにこの世に残された

 

 

2.

にいさん

ぼくたちは なぜ生まれてきたんだろう

地獄を見るために 戦禍にまみれるために

生まれてきたんじゃない

にんげんとして生きるため

自分らしく成長するため

この世に生を受けたのです

それでも ぼくはこのみじかい命脈が

にいさんと共にあったことを誇りに思います

その生涯が 悲惨で哀れであればあるほど

にいさんの思いがぼくの中であふれます

ぼくは にいさんのおとうとに生まれて

ほんとうに しあわせでした

あの一瞬に残されたぼくたちのおもかげが

それを伝え 語るのです

もう二度と誰にも消させない

明日のいのちの 寄る辺となるのです

 

ージョー・オダネル「トランクの中の日本」焼き場にて、長崎ー