ほんもんぶつりゅうしゅう
2021年07月20日
思想としての法華経展 オープニング映像

思想としての法華経展 オープニング映像

「思想としての法華経展」オープニング
 経典の翻訳書や解説書は、難解なものといわれてきましたが、この出版不況のなかで版を重ねる仏教書があります。日本を代表するインド哲学者・仏教学者で、比較思想学者である中村元氏の晩年に学び、その志を継承する仏教思想研究家・植木雅俊氏の仏教書です。  パーリ語や、サンスクリット語で綴られた原始仏典や大乗仏典を、卓越した語学力、深い洞察力と広範な知識、経験から丁寧に読み解き、経典に込められた真意、仏教の本質を明らかにして、想像力をかき立てる、分かりやすい言葉を用いて人びとに伝え続けておられます。  大学で物理学を専攻していた植木先生は、様々な出来事から仏教に興味を抱き、学びを深めます。「本来の仏教とは何だったのか?」「だから何なのか」――30代後半、サンスクリット語まで遡らなければ理解できないことが相次ぎ、独学の限界に気づきました。そのころ、不思議なご縁で中村元先生と出会い、40歳を過ぎてから中村先生の開設された東方学院に学びながら師の勧めでお茶の水女子大学での学位取得に挑戦。およそ十年後の2002年、「仏教におけるジェンダー平等の研究――『法華経』に至るインド仏教からの考察」と題する博士論文で、お茶の水女子大学から博士号を取得されました。
 以後、稀代の仏教思想研究家として破竹の活躍を続け、  『梵漢和対照・現代語訳 法華経』上・下巻は、毎日出版文化賞を受賞して13版を重ね、  『仏教、本当の教え――インド、中国、日本の理解と誤解』は10版、  『サンスクリット版縮訳 法華経』が10版、  『思想としての法華経』は5版 を数えるに至っております。  誰もが不安を抱える混沌とした時代に、生きる希望として仏教の真意を分かりやす提示し、それらが多くの人々に求められていることの実例です。  京都佛立ミュージアム「思想としての法華経展」。  植木先生の著書『思想としての法華経』を中心にその偉業とも言える膨大な翻訳作業、「法華経」に込められた思想、編纂の背景や意図、その位置や普遍的な教えについて紹介してまいります。  「諸経の王」と呼ばれる「法華経」  「妙法蓮華経」  「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」  「白蓮華のように最も勝れた正しい教えという経」
 植木先生は法華経を読み解いてゆく中で、一見すると大げさな、巨大なスケールの話が次から次へと出てくる法華経の、実はその一つ一つ全てに意味があり、巧みな場面設定や、登場人物の選び方に込められた意味、サンスクリット独特の掛詞(かけことば)で表現された意味の多重性、そしてそこに貫かれた平等思想、普遍的な思想をあらためて発見することができたと述べられています。
 さらに丁寧にサンスクリット語の一つ一つの単語の意味にまで遡って、仏陀の息づかいや、編纂者の情熱まで感じられるほど読み解いてゆくと、法華経には「今日の仏教は逸脱していて、本来の仏教とは違う」「原始仏教の原点に還れ」という法華経を編纂した人たちの主張が一貫しているというのです。
 先生の著書を読めば読むほど不思議な答えに気づきます。  法華経の思想は、歴史的人物としての釈尊が説かれた原始仏教と一致し、さらに現在躍動する生きた仏教の信仰とも矛盾なく合致するという不思議です。  私たちは生きた仏教を伝えるミュージアムとしてこれまで多くの企画展を開催して参りました。
「坂本龍馬と仏教展」 「宮沢賢治と法華経展」 「ブラジルと仏教展」 「スリランカと仏教展」 「長松清風展」 「維新外伝」 「宮沢賢治と日蓮展」 「SDGsと仏教展」
 それらの企画展は鎌倉時代の日蓮聖人、室町の日隆聖人、幕末維新の仏教改革者・長松清風日扇聖人の教えと法華経への信仰を中心に、時に形骸化した教団を批判し、時に懈怠した僧侶を糾弾し、常に仏教の原点回帰、仏教による人類の平和、差別の超克、平等の実現を目指す、法華経に仏教の真骨頂があり、その信仰と実践が人類の希望であるということをお伝えするものでした。
 植木先生が「思想としての法華経」を読み解く中で、「教団の権威主義化」「在家の復権」「迷信・神通力の否定」「真の自己に目覚めよ」「永遠のブッダが示すもの」「人間の貴賎は、生まれではなく、行いによって決まる」「差別相と平等相」「性差よりも人間としての在り方」「多様性の違いを違いとして認め、個性として尊重するためには、その違いを超えた普遍的視点が必要」などと述べられていることは、そのまま当館が企画展を重ねて伝えようと試みてきたことであると感じたのです。
 「対立と分断から融和へ」  植木先生が綴られている「本当の仏教」は仏教の本質であり、迷う人類を次なる高みへ導く希望の教えです。  宮沢賢治は初めて『法華経』を読んだ時、あまりの感動で身体の震えが止まらなくなったといいます。 賢治は彼独特の感性でその真意に触れることができたということでしょう。  高祖日蓮大士ご降誕800年慶讃・京都佛立ミュージアム・植木雅俊監修「思想としての法華経展」  この展示を通じて、諸経の王「法華経」を身近に感じて、本物の仏教こそ、生きる指針となり、人類の希望であることを感じていただければと思います。  第一章から第五章、「思想としての法華経」から「信仰としての法華経」についてご紹介させていただけることの喜びを感じております。  「日蓮聖人は法華経のサンスクリット原典を読んでいたかのようだ」。 そう先生は仰せになりました。  法華経を身に読んだ、法華経の行者・日蓮聖人。  800年慶讃の御時にあたり、そのご降誕からご入滅まで、まさに法華経を体現し実践された、壮絶なご生涯と尊い教えに触れていただければと思います。  ありがとうございます。