ほんもんぶつりゅうしゅう
2019年06月06日
つづれおり新聞 「よろこびおすそわけ!」道北布教区編 Vol1

榊真智子さん(札幌・信廣寺)

 

ありがとうございます。昨年12月長女、伊藤和恵の奉安教化をさせていただく事ができ、御導師より入信証を言上いただき胸がいっぱいになりました。この日は、和恵の夫の月命日でありました。またこの日急に仕事が休みになった為、神奈川県で看護士をしている和恵の長女が帰って来るとの嬉しい知らせもあり、不思議な巡り合せにお計らいを感じておりました。

 

 今から10年前、娘婿が四十九歳の時、肺がんの告知を受けました時に、和恵を法灯相続の個人教化させていただきました。当時、和恵の子ども達は、長女が中学3年生、長男が小学6年生でした。2年後の平成24年2月8日、本門佛立宗の有難い御題目にて寂光へと見送らせていただき、無事に信廣寺の納骨堂に納めさせていただくことができました。

 

 和恵は主人亡き後、2人の子どもを気丈にも育てあげました。長女は看護学校へ進み、無事に国家試験も受かり、看護士の道へ。長男は昨年、明治大学へ進学することができ、この時は受験真っ只中1月に父親の第7回忌法要の時に、本人は予備校の勉強の方が大事と受験を控え不安な毎日であた様子で、私は実力を発揮する為には、絶対に御題目様のお護りとお力添えがないとかなわないと思い、御宝前へお願いすることが大切なことを諭し聞かせました。お蔭様で、2人の子どもを新たな道へと送り出すことができ、親子共々大きなお計らいをいただきました。その後、1人になった和恵はワンルームマンションへの引越しを考えておりました。

 

 丁度、昨年の秋、旭川寺の御会式にお参詣させていただきました時に、お道具、仏具の販売が行われていました。そこには小さなお厨子もありました。

 私は、このお厨子なら和恵にもお給仕が出来るのではないかと思い、自分がお給仕するかのように、嬉しくなって他のお道具もついついその場で買いそろえてしまい、背中に背負って帰路につきました。それからは、和恵本人がしっかりと御本尊様をお迎えできるように、日々ご祈願をさせていただき、奉安の日を待ちわびておりました。

 

 平成30年12月25日無事のご奉安の確認お助行をいただき、ホッといたしました。真新しいお厨子にぴったりな御本尊をお迎えさせていただき、その荘厳さに随喜をさせていただくと共に、これからも娘には、確かな法灯相続をと私自身も信心改良をして、御看経をいただきながら、御法様へお誓い申し上げる次第です。

 

 そして娘には丁寧に御宝前のお給仕をさせていただくこと、必ず僅かな時間でも真剣に御題目をお唱えさせていただくことの大切さをお伝え致しました。

 月日は戻りますが、私は今から32年前、17歳の長女と15歳の次女のいる夫の後妻に入りました。入信をしたのは、結婚1年前の30歳の時でした。夫の協力もあり、これまで何とかやってこられましたが、35五歳でリウマチになり、半年で全身の関節の自由がきかない中、我が息子、和馬を無事に出産出来たことは本当にお計らいでした。

 

 現在、和馬は26歳の美容師として働いていますが、息子が高校生の時には青年会の御講をいただき、20歳で一人暮らしを始めた時に御本尊を奉安させていただきました。

 その頃は、御本尊様が心配で何度もアパートへお給仕お助行に行っておりました。この度も娘の部屋の鍵を預かりお助行をしながら、見守り育成して参ります。

 

 私もリウマチで手術を何度もしましたが、平成20年にはバスに乗ることが出来るようになった時には嬉しくて嬉しくてそれから他寺院参詣もさせていただくようになりました。また婦人会錬成会へこの10年間続けて参詣させていただき、札幌から片道何時間も掛かる帯広や釧路、旭川のお寺までの1泊2日のご奉公にも参加出来るようになりました。

 

 教区のご奉公や月に3度のお寺の当番ご奉公をさせていただき、少しでも罪障消滅の功徳を積ませていただきながら、これからも教化法灯相続つづれ織り運動に気張らせていただきたいと思います。ありがとうございます。