ほんもんぶつりゅうしゅう

2015-05-19 09:23

たもつ

 御利益をいただくには握って離さないという信心によるので、持ったり離したりという信行は関心しません。継続こそが原動力なのです。
 お互いの心には、たえず、参詣にはげもうという心と反対に今日は止めようという怠りの心がうずまいておりますので、懈怠の心に打ち勝って、前進また前進することです。
 ところで年をとりますと、忘れやすくなります。忘れるのもさまざまあります。置き忘れ(置いためがねを忘れる)、聞き忘れ、見忘れ、物忘れ、忘れ形見、忘れ歯、忘れ咲きなど、さまざまな忘れがあります。
 お祖様の時代、下総國八幡(千葉県市川市)におられた富木常忍が九十歳でなくなった母の遺骨をたづさえて身延の山中に来られ、それをおさめましたが、帰りぎわ、大事な御経文を忘れましたのでそれを戒められました。
 ところで、信心修行には持つことは大事でして、持つには、唱持、聞持、護持、弘持という四つの持ちかたがあります。
 「唱持」唱えつづける。朝夕勤行怠らず、行住坐臥、寝ても覚めても、御題目口唱を怠らない。暇を見ては口唱する。口から御題目を離さない。
 「聞持」御法門聴聞につとめ、信心の見直し洗い直しをして、汚れに染まらないようにつとめる。御利益は初心の信心にあります。聞く耳を持つ。コップに新しい水を多く入れるには、汚れを全部捨ててから入れます。善聴参詣につとめてください。
 「護持」生涯信心。息のかよわんいはは、御法を護りぬくこと。
 「弘持」下種折伏、教化にはげむ。足をはこんで語りかける、これの繰り返しが当宗の御弘通御奉公です。強い使命感をもって、佛のお使いにはげみましょう。使命とは命を使うこと。かけがえのない尊い命一度過ぎ去ったら、もとにもどれません。それだけに毎日を明るく楽しく前向きで御奉公につとめましょう。
 「無病息災、一病長寿、一病息災」ということが言われます。身体が丈夫で自信を持つのも結構ですが、過信をして無理をすると躓くことがあります。身体が弱いと養生に心がけますので長寿を全うすることができる場合が多く見られます。信者は御弘通という大役を荷っているので、一日も長生きして、御奉公につとめてください。
               小澤清道 (御導師)