ほんもんぶつりゅうしゅう

2015-07-15 10:06

つとめぬく

 御教歌
 つとむればやがて其身のさいはひと
      なるをたのしみをこたるなゆめ
 つとめるとは同じことを繰り返すこと。最初はいやいやでも続けてゆけば、おのづと楽しみが湧いてきます。「継続は力なり」でして力がついてくるものです。御書添には「つとむるを楽しめばくるしむの日なし」と仰せ下されております。
 法華経には「勤加精進、昼夜常精進」と説かれており、たえず前に向ってつきすすんでゆくことを強調しております。前進また前進です。
 御奉公は自分の怠け心とのたたかいから始まります。自問自答を繰り返します。朝参詣にしても、お詣りに行くか否かためらう心に打ち勝ってお詣りをさせていただくことが肝心。生涯参詣を心がけましょう。古人は「人は努力する限り迷うものである」と、申しております。疑い、迷い、誇り、怠るという罪障の心が頭を持ち上げてくるので、それとの争いに打勝ってください。
 疑いは悟りのはじめでして、疑いと悟りとは背中合わせです。「煩悩即菩提」と申しますが、その場合の「即」は、口唱と教化、つまり、口唱精進、弘通志願のこと。この二つにはげみますと、今生人界の思いを遂げ、煩悩にあけくれていた生活から菩提の道にすすむことができてきます。
 「雨垂れ石を穿つ」といいまして、どんな小さな力でも根気強く続けてゆけば、いつかは希が叶うものです。小さな雨垂れ一粒でも同じ所に落ち続ければ、やがて石に窪みや穴があくように目立たなくとも地道な努力が大切でして、日日のささいな御奉公の積み重ねを重視しましょう。ささいな所に信心の尊さを見つけ、小さな幸せを喜びあうこと。努力なくして成果なしです。
 信心は生き物。一寸の油断もできません。いつ罪障が頭をもちあげ信心が汚れに染まるか分かりません。怠りますと、怠け癖がでて、いいわけと弁解に終始しがちです。
 ところで、長命者でなく長寿者になりましょう。長命者はただいきているだけ、長寿者とは元気で毎日を心豊かに喜びに満ちあふれて生きている人です。健康はすべてではないけれど、健康を失うとすべてを失います。無病息災とは言葉の上だけでして、実際はいくつかの病気と共存して生きてます。また、一方、心の手入れを忘れずに。思いやり、いたわり、明るさ、優しさ、それと同時に厳しさも持ち合わせましょう。信者の楽しみは御法の為に身を労し、心を尽くすことにあります。
 「よそめにはあそぶと見えて水鳥の肢にひまなきうき世なり」という古歌の意をうけて、開導聖人は次のように御指南されております。
 かもめ、水の上にて在りて浮かび楽しむ。よそめいと羨まし、しかれども其足のいそがはしく少なくも息(やす)むことを得ず。是を以って其性を失はずと。
 法華経の行者も此(かく)の如きのみ、如何にもして余宗の人人の堕獄を救助(くじょ)せんと思う心少しも息(やす)まなきを以って、常に口唱の音声絶えず。経云、常説法教化(じょうせっぽうきょうけ)
             小澤清道(御導師)