ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-08-04 19:21

お寺や教区のご奉公

ご奉公とは
 ご奉公とは、佛立信者がさせていただく信仰上の奉仕活動のことです。
 もともと「奉公」とは、国家や主君に仕え、身を捧げて尽くすことをいいました。
 私たちは御法様にお仕えして、御題目が弘まるように、お寺や周りのご信者が良くなるように、ご奉公をさせていただくのです。
 仕えるのですから、ご奉公は「させていただく」という姿勢が大切です。直接的な利益や金銭的な得はありませんが「御法様、私をお使いください」と自ら役目を願い出るところに、信心の目的である幸せの種まき(功徳積み)ができるのです。
 見返りを求めないご奉公は御法様にお仕えしている私たちの「信心」を形に表したものなのです。

「志」の大事
 ご信心は、真心を込めることで結果が大きく変わってきます。同じ内容のご奉公でも「御法様のため」「お寺のため」「他のご信者のため」と喜んでさせていただけば、志の深さに応じて海よりも大きな功徳が積めるのです。
 けれども、もしご奉公をしてお金や物をもらったとしたら、それは仕事と同じになってしまいます。海よりも大きな功徳が、いくばくかの金銭を得るだけで終わってしまうのですから、これほどもったいないことはありません。
 物やお金が欲しい、楽をしたい、人から良く言われたい。これらの欲は功徳の大敵と心得ることが大切です。

「自分のため」と「人のため」
 同じご信心をさせていただくにも、自分や家族のことだけを祈る「自分のための信心」と、他のご信者の役に立とうとする「人のための信心」とがあります。
 本来信仰とは自分の幸せを祈るものですから、ご信心も自分のことだけを考えていればいいように思えます。
 けれども仏様は「人を助けることで功徳を積み、かえって自分が助かる」という因果を教えられました。
 ご奉公とは、自分のためだけの信心を、人を良くするための信心に切り替えるものなのです。

お寺や教区のご奉公
 何気なく信心をしていても功徳が積めるのは、面倒を見てくれるお役中がいるからです。いつも気持ちよくお参詣できるのは、お寺を支えてくれるご奉公者がいるからです。
 そういう点に気がついたら、今度は自分が「お寺のためにできることはないか」と考えてみてください。初めは自分のことだけで精一杯のご信心だったとしても、人を助けることができるご信者になることが大切です。
 ご奉公とは、御法様にお仕えをし、お寺や周りのご信者の役に立つということです。それが信心修行であり、功徳を積み罪障消滅をするための道です。
 お寺や教区のご奉公に積極的に参加をすることが、ご利益をいただく信心のさせていただきかたなのです。

御教歌
諸の願ひのかなふ近道は みのりの為に骨おしみすな