ほんもんぶつりゅうしゅう

妙玉寺


2015-05-13 17:15

速成山話5

御教歌

 忍辱の鎧を著ずに丸裸

   折伏するに危うかりけり

 
私たちが御弘通の御奉公(菩薩行)をさせていただくに当たっての大事な心掛けの一つに、
「忍辱心」(耐え忍ぶ心)が是非に必要であるとお示しです。
                ○          ○
この忍辱心について、仏説にはつぎの様な話があります。
仏弟子である舎利弗尊者がまだ修行中のことで、日々布施行に励んでいました。
そこへ一人のバラモン僧があらわれ、「あなたは日々厳しい布施行を修しているようだが、
私はあなたの眼が欲しいのです。布施行に命を懸けているならばできるはずだ」と言います。
そこで舎利弗は片方の眼と取りだして差し出しました。
すると、かのバラモンは「くさい!こんなもの!こうしてくれる!」と「ぺっ!」と唾をはき、
あろうことかその眼を踏みつぶしてしまったのです。
それを見た舎利弗は腹が立って我慢ができず、布施行を止めその場を立ち去ってしまったのです。
結果退転してしまったので、その後、なかなか得道成仏が許されなかったというのです。
布施行をさせていただこうという志しはあったのですが、「忍辱心」が足りなかったから、というお話です。
                ○          ○
又、この話にはいくつかの逸話があります。
一つはこのバラモン僧は舎利弗のもう一つの眼をも欲しがった・・・という話。
もう一つは、このバラモン僧は仏様の化身で舎利弗を試した・・・と言う話です。
いずれにしましても、チョット可哀想な舎利弗の話ですが、「忍辱心」は命がけ、
生半可な事では出来ないという譬えでもあるのです。
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御教歌には「忍辱の鎧」とありますが、いったいどんな鎧でしょうか?
開導聖人の御指南には、「忍辱の鎧には地金慈悲に黄金にして大功徳の緋おどし云々
(扇全17巻20頁)とあります。
忍辱の鎧は慈悲と言う地金で、それが光り輝くような功徳に包まれているというのです。
その功徳とは御題目の功徳に他なりません。
ですから私たちはしっかりと口唱の功徳を積んで、慈悲の鎧を厚く固めて、
いざ、お折伏の戦(御奉公)へと飛び出して行かねばならないのです。
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とかく、私たちは「せっかく言ってあげたのに・・・」「何で御奉公させていただいてあんな事いわれるの?」
などなど、こちらの誠意が伝わらなくてイライラすることや、腹の立つようなことが少なくありません。
でも、そんな時こそ「いやいや忍辱心が肝心!腹を立てたらミイラ取りがミイラになっちゃう・・・
お看経をいただいて、忍辱の鎧を厚くして取り組む大事をお教えの御教歌です。